わたし、ガンです ある精神科医の耐病記
頼藤 和寛

定価: ¥ 693
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発売日: 2001-04
発売元: 文藝春秋
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精神科医である著者は、1999年夏に直腸ガンの初期症状に気づき、翌2000年6月に診断が確定、入院し、手術を受けた。本書は術後の経過のよいときに約半年で書き上げられたが、完成直後の2001年4月8日、著者は享年53歳で逝去した。書名を「闘病記」ではなく、「耐病記」としたのは、病気に対して人間ができることは、「闘う」というより「耐える」といった方が実態に即しているのではないかという、著者の実感に基づいている。 「はしがき」に述べられているとおり、本書は家族愛や別離の悲劇をつづった感動の物語でもなく、「こうしてガンを克服した」という療法や信仰の紹介でもなく、「破れかぶれの一患者として『素直に絶望すること』を試みた記録」として書かれたものだ。医学的知識があり、病院を自分の職場としてきた著者は、自身の病状や、病院での治療や手術の功罪、予防の限界などを冷静に分析しつつ、ときにユーモラスな誇張表現を交えながら筆を進めていく。 前半は、自身に起こった体調の変化から、診察、入院、手術、抗ガン剤投与といった経緯が述べられている。直腸ガンであり、痔という持病も重なって、「尾籠(びろう)な話」の連続だが、そのリアルさに「明日は我が身か」とドキドキさせられる。中盤は、治療、手術、抗ガン剤、民間療法などの現実とその効果のほどを客観的に解説し、後半は、あとどのくらい生きられるかわからないという制限つきの日々を生きるなかでの人生観が中心になっている。 ガンにかからないことだけを目的とするような、節制を徹底した無味乾燥な人生とは何か、苦しむ日々が伸びるだけの延命治療にどれほどの意味があるのかなど、ガンとQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)の関係、ひいては生きることの意味を痛烈に問いかけてくる1冊である。(加藤亜沙)
”わたしは「認識の鬼」でありたいのだ”
その言葉に何よりも感銘を受けました。
人はあまりにつらくて認めたくない事に直面すると、自分の都合の良いように解釈したり、でももしかしたら、と希望を持ってしまったりします。確定している未来を知っても、むしろ積極的に「前向きに」「明るく」生きようとすることが正しいというのが一般的というのは著者の言うとおりです。それは決して悪いことではないと思いますし、その方が安らかに、穏やかでいられるのではないかとも思います。
しかし著者は、自分の死に直面したときに
”認識はすべからく禁欲的でなければならぬ”、”わたしは「認識の鬼」でありたいのだ”と言うのです。その本質を見つめようとする精神と意思の強さを心から尊敬します。
とても、色々なことを考えさせる本です。
最高の知性による耐病気。
この書が店頭にならぶ前に著者は亡くなった。
この書は、日本国の最高の感性と知性をもった医師のがん体験記である。
この書に述べられたことは全て納得がいく。
「がん患者」になったとき、同じ事態が進むことに気づく。
率直、かつ正確な語り口調。
同病者であれば、天国から著者がアドバイスしてくれているような錯覚をうけるであろう。
著者に感謝の念を抱くであろう。
同病者は是非とも読まれることをすすめる。
是非読んでみてください
著者は2001年4月に直腸上部のガンで亡くなった精神科医である。この本の特徴は単なるガン患者の闘病記ではない点である。すなわち、従来のガン闘病記は「苦難を乗り越えたサクセスストーリー」か「信仰告白のようなもの」(はしがきより引用)になりがちであるが、この本の著者は末期ガン患者としての『本音』を実によく書いている。読者は「医者のくせに」などという偏見を持たないで読んでいただきたい本である。あとがきの最後の文「健康だった頃には当たり前のように過ごしていた一日一日をありがたいものに感じる」は非常に重みのある言葉である。ぜひ一度読んでいただきたい本である。